わたしは高校生の頃に1年間カナダに留学していました。ホームステイをしながら、現地の高校に現地の高校生たちと一緒に通っていました。
帰国後は外国語大学へ進学したのですが、大学内で出会うほとんどの人たち、クラスメートや友人は当たり前のように英語が話せる人たちばかりで、多くの人には留学経験というバックグラウンドがあり、実際に現地で暮らし海外の文化を肌で感じてきた人たちでした。
当時のわたしにとっては当たり前の環境だったのですが、社会人になり幅広い方たちと付き合うようになると、周りに英語ができる人はやはり少なく、自分が育ってきた環境がいかに限定的なものであったかということを痛感します。
海外の文化に触れる機会が多かった分、普段の生活の中で日本人の特徴的な部分を感じやすいのですが、私が思う日本人の特徴の一つに、「日本人は意見と文句を混同してしまっている」というものがあります。
今日は、これについて、私の思う所をお話したいと思います。
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バイリンガルとバイカルチュラルについて
ご存知の通り、バイリンガルというのは二か国語が話せる人のことです。一方、バイカルチュラルという言葉がります。これは、二カ国の言語だけでなくカルチャー=文化にも精通している人という意味です。
言語習得と文化習得は非常に似ていて、言語を学ぶ過程でその国の文化にも触れるという場合がほとんどだと思います。実際に現地で暮らしたことがある人はなおさらですが、その国の文化や新しい価値観にも触れることになります。
外国語を学ぶと、日本人の特徴が見えてくる
一般的に、外国語を学んだ人は日本を客観的にみる能力が身についているはずです。
英語学習をすることの利点として、コミュニケーションのツールとして活用できるようになることだけでなく、多様な価値観に触れることで多角的な視点から物事を判断できる能力が身に付きやすくなるという点があると思います。
個人的には、後者の利点は相当大きいと思っています。
日本人は意見と文句を混同している
日本では、意見することが嫌われる傾向がありますが、意見と文句は明確に区別されるべきです。
和を以て貴しとなす
日本には、「和を以て貴しとなす(わをもってよしとなす)」という言葉があり、自分の意見を言う人は和を乱すものとして扱われ排除される傾向にあります。しかし、よくわからないのが、他人の意見を尊重せず無いものとして扱う場所にどうして和が生まれるのでしょうか。
わたしは、「和」という言葉は素晴らしい言葉だと思います。ある時、「和」という言葉の適切な英語は何だろうと思い調べているときに、「Harmony(ハーモニー)」と訳している人がいて感動したのを覚えています。
ハーモニーとは、複数の音が調和して生まれる響きのことです。他人の意見を排除している場所にはハーモニーは生まれません。そんなもの、私は本当の意味での「和」とは思いません。ただの「無」ですね。
日本人は自分の意見を言い慣れていない
多くの日本人は、自分の意見を言い慣れていません。海外では、授業にディスカッションを取り入れることが多いのですが、日本の教育の場にはディスカッションが極端に少ないと言われています。だから、自分の頭で考えるという訓練が不足しているのです。
また、自分の意見に対して批評を受けるという訓練もできていないので、自分の主張に対して誰かが意見すると、対立されていると勘違いするのです。でも実際は、別の角度からのアイデアや視点の提供でしかないことが多いです。
多様な意見があるからこそ価値がある
いろんな意見があること自体は、とてもいいことだと思います。だからこそそこには価値が生まれるのだと思っています。例えば会議の場でみんながだんまりしていたら、トップの言うことに何も意見せず頷くだけだったら、そこから何か素晴らしい新製品やサービスが生まれると思いますか?
日本人は会議で何も発言しないと言われます。海外では、発言しない人はやる気がない人とみなされ評価されません。経済も国際化が進む中、ビジネスの現場においても日本人のやり方が通用しなくなってきています。意見を言うことは悪いことではありません、どんどん自分の意見を発信していきましょう。
すべての価値観が合わないと話が進まない日本人はもういやだ